浄土宗 光明寺
光明寺の歴史
光明寺縁起
開基は忍城主成田下総守室の弟、加津内蔵丞長高竹井定右衛門といい、元亀二年(1571年)の草創で、開山は南海上人。
群馬県館林市善導寺末、 遍照山 臺嶽院 光明寺(へんしょうざん だいがくいん こうみょうじ)と号します。
本尊の阿弥陀如来三尊像は、室町時代の作と推定され、加須市指定有形文化財となっております。
大正元年に現在の大辻駐車場の地から当地に移築し、第十九世了愍上人が中興の祖となりました。
昭和になり墓地の整備、拡張をすすめ、昭和五十二年に無縁塔を建立しました。
戦時中に梵鐘を供出していましたが平成八年に鋳造し、その年以降除夜の鐘を行っております。
平成十三年、本堂及び客殿の改修し、平成二十年には太子堂の新築、乾門、浄土庭園を造成し、花が咲き誇り、緑豊かな境内となっております。
本堂横には昇降機があり、階段を上るのが困難な方でも参拝できるようになっております。
阿弥陀三尊(市指定有形文化財)
光明寺の本尊である阿弥陀如来は、像高78.7センチメートル、脇侍は観音菩薩・勢至菩薩で像高50センチメートル。いずれも寄木造りの立像となります。
衣には截金(きりかね:極細い金箔)による装飾が施されています。
三尊とも室町時代の作と推定され、光背や蓮台、本尊の顔や胸のあたりの金泥は江戸後期文政年間(1818~1830)に補修がなされたと光背裏面に記されています。また、損傷が激しくなってきたため、平成18年に解体修理をした際には像内から巻物が出てきました。
乳房観音
観音堂の乳房観世音菩薩(石仏)は西国二十八番丹後国与謝郡世野山成相寺の本尊を模倣し、摂津国東成郡高野山に安置されました。
元禄年間、当時第二世善慶上人が勧請し堂宇を備えたと伝えられております。
以来、子授け・安産・子育ての観音として信仰を集めています。
毎年1月18日に初観音及び観音護摩供を行っています。
毎年何名かの方が乳房観音について人づてに聞き、「長年子宝に恵まれませんでしたが、お参りした後に授かりました」とお礼に来られます。
外からのお参りはいつでもできますので、ご自由にお参りください。